(2) マルセイユに眠る先人たち

幕末から戦後までの間、フランスに上陸する第一歩として多くの日本人がマルセイユを訪れました。そのうちの3人がここマルセイユ市内で亡くなりサン・ピエール墓地に眠っています。

日本の近代化、日仏関係強化、邦人保護等に尽力されたこれらの先人たちに感謝の気持ちと敬意を表し、当館では毎年、総領事と館員がお墓参りを行っています。

( 写真は2013年11月6日の墓参時に当館館員が撮影 )
 

サン・ピエール墓地(CIMETIERE SAINT PIERRE)

380, Rue Saint Pierre  13005 Marseille
Tel : 04.91.14.67.00

横山信道

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横山信道(よこやま のぶみち:1864年4月26日死去) 享年38歳(37歳との説もある)

奉行筑後守池田公、伊豆守河津公及び目付相模守河田公が「泰西(西洋)」に使するに際し、外国奉行支配定役として随行(団員総勢34名)。
文久三年(1864年)2月6日、横浜港を出航。同年4月15日、マルセイユ着後、病死。

前田壮馬

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高知県出身。享年24歳(25歳との説もある)

明治3年(1870年)に兵部省から仏に派遣された10名の留学生(注)の一人。
1870年11月27日 横浜出航。マルセイユの医学校に入学したが、1871年4月18日病死。(墓標には「前田元行」と刻まれている。)
 

(注)前田を含む10名の留学生のうち、4名が仏で死去。前田以外の3名は、アメリーレバンの共同墓地に眠る野村小三郎(のむら こさぶろう:岡山出身、1876年6月26日死去、享年21歳)、フォンテーヌブローで死去した戸次正三郎(べっき しょうざぶろう:福岡出身、1873年11月25日死去)、パリで死去した楢崎賴三(ならざき らいぞう:山口出身、1875年2月17日死去)。

笠戸喜八

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長崎県出身。享年63歳。

尋常小学校卒業後、マルセイユに移住。寒天や
葡萄酒製造時に絞りかすとして出る酒石酸(薬用、清涼飲料、染料に使用)を日本へ輸出し、貿易商としての地位を築く。
在マルセイユ領事館が閉鎖中も、夫人(マリ=ローズ、1896-1962年)と共に邦人保護に尽力。「(日本の)私設領事のつもりで(本人談)」邦人渡航者の世話をした。