2011年の主な出来事
1月
10日:廉価航空会社ライアン・エアー社がマルセイユ空港から撤退。今後マルセイユは同社の母港ではなく、通過港扱いとなる。
12日:サルコジ大統領、トゥールーズのエアバス社を訪問。
12日:マルセイユ港の2010年実績が発表される。年間貨物総取扱量は8,600万トン。長らくマルセイユ港の貨物取扱量は、欧州ではロッテルダム、アントワープに次いで3位であったが、2010年はハンブルグ、アムステルダムにも抜かれ5位となる。
12日:マルセイユの清掃事業を巡り、アレクサンドル・ゲリニ(ジャン=ノエル・ゲリニ県議会議長の実弟)に資金洗浄、脱税疑惑が発生。
14日:チュニジアのベン・アリ大統領の国外逃亡を受けて、マルセイユのチュニジア系市民がチュニジア総領事館前で独裁の終焉を祝す。
15日:マルセイユ市内でチュニジアのジャスミン革命を祝する約4,000人規模のデモが行われた(同様のデモは、ニース、モンペリエ、トゥールーズでも)。
17日:エアバス社の2010年実績が発表され、3年連続受注機、納入機数の首位を達成(受注574機、納入510機。2位のボーイング社は各々530機、462機)。
24日:マノスク国際学校(プロバンス・アルプ・コートダジュール国際学校)が正式に開校した。
25日:ユーロコプター社の2010年の実績発表。納入機数は対前年比31機減の527機。
2月
1日:オルトフー内相によるマルセイユ市配属機動部隊の閉鎖案が、機動隊の抗議により撤回される。
2日:マルセイユ清掃疑獄をめぐりカゼリ・マルセイユ・プロバンス都市圏議長、元官房長他が留置、尋問された。これ以後、清掃疑惑に関してゲリニ(ブーシュ・デュ・ローヌ県議会)議長、及び疑惑の中心人物とされるゲリニ弟とその周辺での容疑が高まるとともに、非難の声が高まる。
14日:エアバス社、米国Gecas社からA320型機10機を受注。全日空が設立する格安航空会社(A F Aviation)に賃貸の予定。
23日:労組(CGT)と港湾連合(UPF)とが労働の苦痛度に伴う早期退職制度をめぐる交渉で合意(退職年齢60歳)に達し、1月中旬以来の争議が終息した。
3月
17日:サルコジ大統領がエクサン・プロバンスを訪れ、国立消防士官大学校の開講式に出席した。県議会議員選挙
20、27日:与党UMPの退潮傾向とPS低迷の中でFNの進出が注目点となったが、最終結果は、管内33県における県政上の変化はなく(左派21県、右派12県)、FNの進展も見られなかった(ボクリューズ県およびバール県でフランス唯一の2議席を獲得したのみ)。
東日本大震災関連
11日に発生した東日本大震災の直後から、管内の各地で被災地支援のチャリティ・コンサートや追悼行事等が開催される。またお見舞いのメッセージも各方面から寄せられた。
12日:ブーシュ・デュ・ローヌ県やバール県から志願の消防士が緊急援助隊として被災地に派遣された(29日まで)。
14日:福島第1原発の原子炉冷却不能事故を受けて、カダラッシュ(ブーシュ・デュ・ローヌ県)で環境政党やNGOが脱原子力を訴えてデモ。19日にはマルセイユでも同趣旨のデモに1,000名が参加。
16日:本島ITER機構長が地元紙との会見で、ITERの安全性を述べた。
4月
17日:チュニジア移民のフランス入国がイタリアとの国境で拒否された。チュニジアの政変に伴い1月来2万人のチュニジア移民が押し寄せるイタリアでは、4月初め、政府がフランスを始めとする欧州諸国に居住する家族・友人に合流できるよう移民に許可証発行を決定した。フランスはこの処置を認めず、入国には右許可証に加えて旅券及び十分な所持金が必要と定めている。
22日:フレデリック・ミッテラン文化相は、闘牛をフランスの文化遺産として認可した。以後、闘牛反対派は、ニーム(闘牛場あり)はもとより、カンヌ映画祭においても抗議行動をとる旨文化相に公言。
26日:フォション世界水会議代表(本部マルセイユ)が東日本大震災の被災地を視察(2012年3月の世界水フォーラムでも震災に関連しての都市設計や水供給が議題の一つとなる予定)。
5月
2日:エリニャク元コルシカ地方長官殺害(1998年)の容疑者イバン・コロナに対する第3審がパリの重罪裁判所で開始された。(第1審及び第2審での終身刑判決後、破棄院が法的手続きの不備を理由に右有罪判決を棄却。今回はこれに続く第3審。6月終了の予定。)
2日:マルセイユのシテにある薬局に侵入を図った男2人が薬局の隣人にライフル銃で撃たれ、1人が死亡した。15歳の少年であったことから、シテの一部住民が激昂し不穏な状況を呈した。5日、ゲアン内相はマルセイユを訪問し、治安強化策として警察官の配備増等を表明した。同日、死亡した少年を悼む行進に市民1,500人が参加。
4日:「アルメニア人虐殺(1915年)否認を罰する法案」が上院で受理不能として審議拒否された。
11日:カルカッソンヌの警備会社社長がリビアで、カダフィ政権を利するべく諜報活動をした疑いで反対派に射殺された。同時に拘束された4名は21日、釈放された。
16-18日:欧州議員14名が、建設費が3倍に膨張したITERの進行状況を視察した。反対派は、ITER中止を唱えてデモ。
17日:マルセイユの清掃事業に関する不正容疑でアレクサンドル・ゲリニ容疑者が仮釈放された(2010年12月の拘束以来初めて)。
6月
3日:マルセイユ港税関職員に、日本発のコンテナに対する放射能測定検査が新たな職務として課せられたことに関し、労組は、測定は有資格者が行うべきと主張して拒否(4月15日、欧州連合による右検査の実施決定を受けて)。
15日:フランス政府は、エア・フランス社に対し、次期購入予定の旅客機をボーイング社機ではなくエアバス社機とする旨要望した。
20日:コルシカ地方長官暗殺事件第3審で、パリ重罪裁判所は、イバン・コロナを長官狙撃犯と断定し、無期懲役(保安期間無し)を宣告した。コロナは、破棄院に申し立ての意向。
29日:アフガニスタンで18カ月(547日)に亘りタリバンによって拘束されていたフランス国営放送記者2人が釈放された。内1人の出身地マルセイユでも釈放を祝う集会が行われた。
30日:福島第1原発事故を受け、フランス原子力保安院は、トリカスタン原発第1号炉(ドローム県)の運用を10年延長するに当たって、32項目に亘る安全強化策を課した。
7月
6日:マルセイユ市議会議員・国民議会議員のルノー・ミュズリエ(UMP)が、アラブ世界研究所所長に任命された。
6日:TGVリヨン-トリノ線建設に関し、フランス・イタリア両国政府は欧州委員会に保証を与えるべく建設に向けての姿勢を再表明した。
7日:コルシカ島西方95km、地下20kmの地点でマグニチュード5.2の地震が発生。コルシカ島、フランス本土での被害はなかった。
7日:マルセイユの清掃疑獄に関し、社会党による同党ブーシュ・デュ・ローヌ県連の内部調査の結果、ジャン=ノエル・ゲリニ県議会議長の党籍剥奪は行なわれなかった。
20日:エアバス社は、American航空との間にA320型機260機の売買契約を結んだ。これを契機に米国航空市場へのエアバス社機の本格的参入が始まると見られている。
24日:アルプ・ド・オート・プロバンス県で、狼による羊への襲撃が続き、1度の週末に72頭が餌食となった。県知事は、被害が年々増加していることから、特定条件下で銃殺を許可する方針を打ち出すが、環境保護団体からは反対の声も出ている。
27日:トゥールーズとアグドを結び地中海に繋がるミディ運河(239km)沿いに植生するプラタナスが菌に侵されて次々に枯れ、伐採されている。地元では、景観が損なわれるとユネスコ世界遺産の登録も取り消され、観光に打撃を与えるのではと懸念している。
8月
15日:トゥールーズにダライ・ラマ来訪。ステファン・エセルと並んで1万人の聴衆を前に講演。(エセルはレジスタンスの一員。フランス社会の良心と見なされる人物)
19日:日本の海上保安庁は、新たにユーロコプター社製ヘリ3機(EC225型)を購入の予定。同機種は、東日本大震災時、人命救助作業で活躍した実績がある。
23日:プロバンス・アルプ・コート=ダジュール州議会は、カマルグ米生産者との協同で9月初め、飢饉に喘ぐソマリアに米110トン他をトゥーロン港から発送する旨決定。
24日:マルセイユの犯罪増加に対処すべく、アラン・ガルデール(ゲアン内務相の副官房長)が治安担当知事に任命された。直近2年で3人目の人事。
29日:リヨン司法警察の地域間次長が他の警察官3名とともに、汚職・国際麻薬取引・資金洗浄の捜査に関連して拘束され、取り調べを受けた。部下の信頼厚く、高潔・有能な人材との評判が高かっただけに、大きな衝撃を与えた。
31日:東日本大震災のため、日本から予定されていたITER用部品の供給に1年の遅れの生じることが判明した。このためプラズマ生産は2019年から2020年末に伸びる見通し。
9月
3日:フィヨン首相がマルセイユを来訪し、治安等の問題を抱える市内北地区を視察。
8日:マルセイユの清掃疑獄事件に関連して、ジャン=ノエル・ゲリニ(県議会議長)に対し、「犯罪者団体」罪の容疑で予審開始が決定した。ゲリニは、議長職を副議長に委任したが辞任は拒否。社会党からは一時退く旨表明。
9-10日:マルセイユでG7財務相・中央銀行総裁会議開催。
12日:マルクール原子力施設(ガール県)で放射性金属廃棄物の溶融炉が爆発した(死者1、負傷者4)。フランス原子力保安院は、放射能漏れはないと表明。(国際原子力事象評価尺度1)
13日:ドミニク・ドマルチ(コルシカ、サン=タンドレ・ドゥ・コトヌ市長暗殺(3月21日発生)に関連して、容疑者約10人が検挙された。(被害者は、ポール・ジアコッビ{コルシカ執行議会議長}の側近。オート・コルス県の公開市場不正事件と関連の可能性あり)
10月
5日:シェール・ガスの採鉱をめぐり、政府はアヴェロン県、ガール県およびアルデッシュ県での採掘許可を取り消した。
21日:京都府知事の率いる代表団がモンペリエにラングドック・ルシオン州議会を訪問した。
25日:マルセイユの清掃疑獄に関し、ゲリニ(ブーシュ・デュ・ローヌ県議会議長)による議長職の委任を行政裁判所が違法と認めた。これによりゲリニは議長として議会に再登場したが、UMPではあくまで辞任要求の構え。地元PS議員からも辞任の声上がる。他方、ルノー・ミュズリエ(マルセイユ市議、国民議会議員、UMP)は、著書「ゲリニ・システム」を刊行し、マフィア組織カモラに侵食されたナポリと同様に、マルセイユでもゲリニの牛耳る地元政財界の癒着構造があると指摘。
27日:マルセイユに建設予定の回教寺院に関し、行政裁判所は、必要条件が満たされていないとして、建築許可取り消しを決定した。定礎式は実施されているものの、その後建設未着工で既に18ヶ月の遅れを来たしており、今回の決定によって先行きは益々不明となった。建設費の調達は、関係諸国からの拠出金や信者からの募金に頼るが目標にはほど遠い(2,200万ユーロ中25万ユーロに達したのみ)。
11月
2日:社会党オブリー書記長は、マルセイユの清掃疑獄を考慮して、ジャン=ノエル・ゲリニに、ブーシュ・デュ・ローヌ県議会議長職の辞任を要請した。大統領選を半年後に控え、社会党に批判を招かないようにするため。ゲリニ議長は辞任を拒否。
3-4日:カンヌで先進20カ国首脳会談が開催された。
10日:エアバス社は、同社史上初めてユーロ建てで自社機を販売した。
25日:サルコジ大統領がトリカスタン原子力発電所を視察し、原発に基づくエネルギー自給策の堅持を述べた。
28日:ヴィトロールで強盗集団が、連絡を受けて駆けつけた警察官にカラシニコフを乱射し、犯人の一人が味方誤射で死亡、重傷の警官一人も数日後死亡した。マルセイユ市内でも強盗4人組が警官隊にカラシニコフを乱射。銃撃戦で犯人1人死亡、1人重傷、警官1人が負傷した。
警察に対峙した際の犯人側の過剰な暴力的反応、強奪品価値の低さ、またカンヌでも宝石店が襲撃され店主が殺害された(26日)こともあり、大統領選を控えて現政権が重視する治安が極度に悪化しているとの印象を与えた。
12月
8日:11月末のマルセイユでの凶悪犯罪に続き、再び北地区で男が銃弾を浴びて暗殺された(1日)ことを受け、サルコジ大統領がマルセイユを訪れ、警察官への散弾銃の配備を発表した。
マルセイユでは22日にも17歳の少年がカラシニコフで殺され、22日には放火車両から3人の遺体が発見された。30日には若者2人がカラシニコフで撃たれ負傷。警察では麻薬取引の可能性も含めて捜査中。
11日:アビニヨンで反核団体の900名が手を繋ぐ人間の鎖を実施して、原子力からの早急な脱出を訴えた。福島原発事故1周年に当たる2012年3月11日には更に大規模な示威行動を予定。
22日:トルコによるアルメニア人虐殺(1915年発生)の否認を罰する法案がフランス国民議会で採択された。アルメニア人コミュニティを抱えるマルセイユでは、法案を提案した議員が脅迫を受けるなども含めて議論が沸騰する一方で、大統領選・国民議会選を控えてのアルメニア系市民票の取り込み策との非難も起こる。トルコは、フランス自らの植民政策の過去をまず清算すべしとの批判を強めた。
28日:人口20万人以上の都市における失業率で、マルセイユは12.7%でフランス第一となる。パリは8.7%、リヨン8.3%。
マルセイユは、同時に無資格者率も24.8%で首位、孤立した親への手当率の3%もパリの4倍。片親家族の占める割合も12.7%で全国最高(全国平均4.4%)。居住区により貧富に顕著な格差のあるのがマルセイユの特徴とされる。
29日:アルビオン(ボークリューズ県)からアフガニスタンに派遣されていた外人部隊兵士2名が友軍(アフガン国軍)の銃撃を受けて死亡した。戦没兵士数は2001年の介入以来78名に。