2012年の主な出来事

平成29年7月13日
2012年、当館の管内でおこった政治、経済及び社会面での主要出来事を地元紙及び全国紙から抜き出しました。フランス全体に関する事項でも特に管内との関連が深いものについては、{ }内に記載しました。
 

1月

3日:{福島原発事故後、フィヨン首相の要請に基づき国内原子力施設(79ヵ所)の安全性評価を行っていた原子力安全当局(ASN)は、その報告中、全対象施設が「十分な安全水準にある」として即時閉鎖の可能性を斥ける一方、堅牢性を高めるため数十億ユーロの投資が必要との結論を下した。}

9日:ニース・メトロポール(2010年の自治体改革に伴い誕生した同市を中心とする自治体共同体)の第1期代表にクリスチャン・エストロッジ(ニース市長、国民議会議員、UMP)が選出された。既存のニース・コート・ダジュール自治体共同体の27自治体から46自治体に発展。総人口は54.5万人に。

18日:2011年エアバス社業績 受注数1,419機(ボーイング社の805機を凌ぐ)、売り上げ457億ユーロ、純益5.53億ユーロ。トゥールーズ地域の航空機製造下請け企業も賑わいを呈し、航空機需要に労働力供給が追い付かず、早急な養成の必要が叫ばれている。

19日:{上院は、ハルキに対する侮辱及び中傷を罰する法案を採択した。2006年、ジョルジュ・フレッシュ(当時のラングドック・ルシオン州議会議長)が、ハルキ団体の責任者を「下等な人間」と呼んで、第1審で有罪判決後、第2審で逆転判決が下され、破棄院が最終的にこれを確認した経緯あり。}

22日:{集団大虐殺の否認を罰する法案が上院で採択され、同法が成立した。特にトルコによるアルメニア人虐殺(1915年発生)を対象としており、反発したトルコ政府は、フランス企業に対する制裁を示唆した。}

25日:2011年ユーロコプター社実績 売上高54億ユーロ(前年比12.5%増)で頗る好調。503機納入。77%は輸出。民用機68%に対し軍用機32%。

26日:2011年マルセイユ港実績 総取扱量8,820万トン(前年比3%増)で大きな増減なし(フランス全国では2.76億トンで1%増)。経済不況と年頭ストの影響とみられる。乗客数230万人(13%増。内コルシカ27%増。大型巡航客船客81万人で18%増。他方アルジェリア、チュニジア方面は政情不安を反映してか11-15%減)
 

2月

9日:欧州航空安全庁(EASA)は、主翼にひびが認められたエアバス社製A380型機に関し、これまでに生産された全100機を総点検するよう指示した。

24日:トゥールーズの航空会社エア・メディテラネ社は、マグレブ諸国向け空路の需要激減に伴い一部乗務員のギリシャへの異動を提案したが、従業員からは、給与引き下げを狙った「偽装移転」との非難を呼んだ。

28日:{憲法評議会は、1月に成立した集団大虐殺の否認を罰する法に関し、基本的人権である表現の自由に抵触するとして違憲判定を下した。同法は、特にトルコによるアルメニア人虐殺(1915年発生)を対象としており、トルコ政府は、今回の違憲判決をフランスによる関係改善のしるしと歓迎したが、マルセイユを中心に居住するアルメニア系フランス人は抗議の声を上げた。}

15日:マルセイユの清掃疑獄に関し、ジャン=ノエル・ゲリニ(ブーシュ・デュ・ローヌ県議会議長、上院議員、PS)は、自分を召喚した担当判事に議員特権を行使して黙秘を通した。よって判事は、上院に右特権剥奪の許諾を請求した。22日:風刺新聞は、判事がゲリニとベルナール・スクワルシニ(中央内務情報局(DCRI)長)との共謀関係について追加的請求をした旨報じた。スクワルシニ(当館注:かつてPACA治安担当知事を務め、イヴァン・コロナ逮捕にも関わった)の息子が県議会の外郭団体に就職するに当たり、ゲリニの特段の計らいを得た疑いで、その見返りについても嫌疑が寄せられている。
 

3月

12-17日:マルセイユで世界水フォーラムが開催された。

11日:東日本大震災1周年の日、管内各地では記念行事が催された。リヨンからアヴィニヨンに亘り、原子力発電に反対する市民約3万人(主催者発表6万人)が人間の鎖を作って原発施設の即時閉鎖を訴えた。

11-22日:トゥールーズ及びモントバンで兵士を狙った銃掃射で3人が死亡、1人が重傷を負った(11、15日)。 トゥールーズのユダヤ人学校が襲われ、4人が殺害された(内3人は児童。19日)。
ミディ・ピレネ州では、特別警戒態勢(Vigipirate)が最高度の「深紅」に引き上げられ、大統領選選挙運動は全仏で48時間中断された。葬儀には主要候補が参列。 各地で市民、ユダヤ系・イスラム系団体による右犯罪に対する糾弾や意志表明が行われた。
トゥールーズで被疑者が特定され(モハメッド・メラ、24歳)、拘束に向かった警察当局に対峙し、警官隊と銃撃戦の末、死亡した。同人は、アルジェリア系仏人で、サラフィスト及びジハディスト、かつアル・カイーダを自称していた。(22日)

30日: マルセイユ市内で、テロリズム計画中と見られるイスラム原理主義運動、フォルザン・アリッザ(Forsane Alizza、誉れの騎士)の活動家とその母が検束された。他にも、ナント周辺、イール・ド・フランス、リヨン周辺、PACA州で計17名が検挙された。
 

4月

4日:マルセイユ、カルパントラ、ヴァランス(以上、管内)、ルベ、ポーでイスラム過激派の活動家10名が検束された。彼らは、特定の組織に所属せず、孤立した活動家と見られているが、モハメッド・メラ事件(3月発生の殺傷事件)があったことから、当局がテロ行為実行前に検束に踏み切った模様。家宅捜索時、武器・爆破物は押収されなかった。メラ事件以降、治安問題が最優先事項の一つとして再登場する中、大統領選挙第1回投票を3週間後に控えた今回の検束に、治安対策に奮闘するサルコジ候補像を演出するための宣伝活動との批判も出ている。

18日:マルセイユのカランク(断崖状の峡湾)一帯が国立公園の指定を受けた。都市近郊の国立公園としては欧州で初めて、世界でも3番目(ケープタウン、シドニーに続き)に当たる。

22日:大統領選挙第1回投票の結果、オランド候補(PS)が1位、サルコジ候補(UMP)が2位となり共に第2回投票(5月)に進出することとなった。

 

5月

3日:マルセイユとコルシカを結ぶ海上運送会社のSNCMおよびCMN両社が経営危機にある。背景には、競合会社との間にある海員雇用をめぐる国籍条項の有無(上記両社には仏人雇用の義務があるが競合会社にはない)、それに伴う人件費の差があり、これが料金格差を生み、客離れにつながるとみられている。組合(CGT、CFDT)は、両社が万一破綻すれば、本土・コルシカ間の経済に大きな影響を及ぼし、社会的騒擾にも結び付きかねないと警告している。

6日:大統領選挙第2回投票が実施され、フランソワ・オランド(PS、51.62%)がニコラ・サルコジ(UMP、48.38%)を退け当選した。(16日、ジャン=マルク・エロー内閣結成)

10-12日: コルシカ各地で主に別荘を対象に、22件の爆破が相次いで発生した。当局は非合法民族運動を対象に捜査中。

11日:ブーシュ・デュ・ローヌ県ジニャック・ラ・ネルトで、麻薬密売に関係する男性がカラシニコフの掃射を浴びて死亡した。マルセイユ及び周辺都市では、麻薬売買に絡んだ縄張り争いを含めて、今年既に10人の犠牲者が出ている。銃器としてしばしばカラシニコフが使用され、シテ(ゲットー化した高層社会住宅群地域)他で密売されていることが問題になっている。

21-31日:エロー内閣誕生後、ヴァルス内相(21日)、モントブール製造業復興大臣(25日)、及びエロー首相(31日)がそれぞれマルセイユ及び近郊を訪問し、視察等を行った。

25日:プロヴァンスのラヴェンダー(及びその自然交配種のラヴァンダン)が、数年来、気候の乾燥化に加えバクテリアに感染して悪影響を受けている。極小の蝉が樹液を吸う際に植物に移すバクテリアが原因とみられ、研究者、生産企業が中心となって対策を検討中。(仏全体で生産される香水・香料・医薬用植物の半分がラヴェンダーやラヴァンダン。プロヴァンス地方全体で、生産者2,000人、関連雇用2.5万人を抱える。)
 

6月

1日:コルシカ南部のセラ・ディ・フェロ(Serra di Ferro)のサマー・キャンプで爆破があった。被害軽微、犯行声明なし。直近の3週間で27件目。

1日:ニース市は、結婚式における騒音禁止条例を施行したが、市議会反対派を筆頭に、アラブ系結婚式を狙った措置との批判を受けた。市側では、安寧な市民生活を脅かす行為として、結婚式でよく見受けられる、口笛、アラブ式の叫び、仏以外の国旗、無許可の民族音楽集団、不法駐車をしての踊りや演奏を禁止した。

2日:コルシカ民族解放戦線(FLNC)が約20件に亘る爆破事件(5月発生分)の犯行声明を出した。破壊活動を、「我が大地を奪われることに対する反対行動」と規定し、「(オランド)新政権に対する威嚇や脅威ではなく」、「数年来の我が大地への投機加速化に対する闘争として位置づける」と表明した。

5日:ヴィラーバンヌ市(ローヌ県)でキッパを着用していたユダヤ人の若者3名が10名の集団に襲われた(2日)ことに関し、ユダヤ人地域社会保護局(SPCJ)は、モハメッド・メラ事件(3月19日、トゥールーズのユダヤ人学校を襲った殺戮事件。犯人はその前にも仏軍兵士を殺害)以降、ユダヤ人を対象とする暴力・誹謗事件が増加していることを訴え、反ユダヤ主義の浸透に注意を喚起した(3.19-4.30の期間に148件発生。前年同期(68件)の2.2倍)。

10、17日:国民議会議員選挙実施。全国レベルでと同様に、南仏においても社会党を中心とする左派が優勢の結果となった。また2名の国民戦線(FN)候補者を含む3名の極右議員が全て管内から誕生した。
 

7月

2日:エアバス社は、米アラバマ州にA320型機の製造工場を建設する旨発表した。第1機納入は2016年の予定。総工費5億ユーロ、雇用数1,000人、間接雇用4,000人。

11日:破棄院は、クロード・エリニャク(コルシカ地方)長官暗殺(1998年)に関しイヴァン・コロナの申し立てた上告を棄却した。これにより同人の終身刑が確定した。

19日:チュニジアのモンセフ・マルズーキ大統領がマルセイユを訪問。

24日:マルセイユ市内のモスク付近でニカブに身を纏った女性に警官が身分証の提示を求めたところ、女性は声を荒げてこれを拒否し、数人が駆け付け警官ともみ合いになった。女性を含む4人が警察に拘引されたが、検察が数時間後に釈放した。(フランスでは法律により公の場所で顔面を覆い隠すことが禁止されている)

28日:平野博文文科相がカダラッシュを訪れ、ITER(国際熱核融合実験炉)サイトを視察した。
 

8月

1日:コルシカ領土議会は、島民を対象にチェルノブイリ原子力発電所事故(1986年発生)の放射能の影響を調査する旨発表した。白血病や甲状腺異常等の疾病について1975年以降同島に住む者で1980-2010年に発病した事例の申告を受け付け、ジェノヴァ(イタリア)の病院医師の協力を得て疫学的調査を試みるもの。事故当時の政府は、フランスにおける影響はなかったとの立場。パリ控訴院も2011年9月、事故は測定可能な結果をもたらさず、甲状腺異常とも無関係との判断を下した。他方、専門家調査には、コルシカでの甲状腺異常の多発を挙げる報告もあり。

21日:マルセイユ郊外ジェムノスにあるフラリブ社(Fralib、紅茶等製造工場。従業員数182)は、親会社のUnilever社(英蘭系)によって2011年7月以来過剰生産を理由に工場閉鎖となった。従業員は爾来工場を690日以上に亘って今日に至るも占拠中。オランド大統領選出後は政府の仲介によって再交渉に経営者側が同意し、その間マルセイユ都市圏共同体が工場・機械の所有者となり、労働者協同組合形式での工場継続が決定した。Unilever社では、なすべき以上のことをしたとの認識で、従業員側の求める商標権の譲渡及び製品発注を拒否して交渉は難航。

22日:マルセイユをヴァルス内相が訪れ、関係者とロマ問題の解決を図るべく県庁での会合に出席した。ロマは全仏に1.5万人、ブーシュ・デュ・ローヌ県に3,000人(県としては最大)、内1,500人がマルセイユに居住しており、仏社会における定着あるいは同化を巡って問題が指摘されている。

26日:マルセイユでクルディスタン労働者党(PKK)の党員5名が、クルド人に対する暗殺を企んだ容疑で中央内務情報局(DCRI)により検挙された。

30日:マルセイユ市内で発生した麻薬売買に絡む本年14件目の暗殺事件を契機に、地元上院議員(社会党)が軍隊の介入を提案し、議論が沸騰した。オランド大統領は、「犯罪取り締まりは、警察・司法に属する」との見解を述べ、軍隊動員は認めず。

 

9月

5日:エアバス社は、今後20年間に世界の航空機需要が倍増すると予想している(就業航空機数は、現在の15,500機から2031年には32,500機へ。航空輸送に対する需要は150%増加。28,000機の新機需要(3兆1,790億ユーロ相当)が見込まれる)。途上国における中産階級の増加が需要増の主因と見られ、とりわけ中国国内市場の伸びが著しい。

6日:エロー首相は、閣僚会議を開催し、マルセイユにおける治安対策を中心に総合的な大都市圏政策について検討した。10、11両日、首相はマルセイユを訪問し、関係者に概要を説明した。

9日:アジャクシオ及びオート・コルス県(バスチア、アリストロ、サン・フロラン)で大規模流通店舗3社計7店舗が爆破された(負傷者なし、被害軽微)。13日、コルシカ民族解放戦線(FLNC)が犯行声明を出し、上記店舗が価格を吊り上げ、地元の小売店を駆逐していると抗議した。

10日:エロー首相がエクサン・プロヴァンスを訪れ、郊外のレ・ミルにある収容所記念館の開所式に出席した。(1939-42年の間に1万人が収容され、当初は敵性国人と見做された反ファシスト・ドイツ人、その後はユダヤ人が収容され、内2,000人のユダヤ人がアウシュヴィッツに送られ殺害された。フランス人経営による収容所としては現存する唯一のもの)

13日:カマルグの稲作農家では、日本の合鴨農法を欧州で始めて導入し農作物を商品化している。今般、仏農業研究所(INRA)主催による国際有機稲作会議に招かれた日本の合鴨農法専門家と意見を交換した。

27日:マルセイユの北地区で、空き地に設けたロムの不法滞在に始まる窃盗に業を煮やした地域住民が、ロム(約50名)を退避させた後キャンプに火を放ち立ち退かせた。負傷者なし。当局では、住民自身によるかかる解決策に法的制裁は加えない模様であるものの、同種事件の発生を危惧している。

29日:エクス郊外ジュークのハルキ・キャンプ跡に記念碑が定礎された。ハルキは、アルジェリア戦争の際にフランスを祖国として戦った下級公務員や農民を中心とするアラブ系フランス人。戦後半世紀を経てオランド大統領が、ハルキの犠牲を認め、その後蒙った苦悩に言及した経緯があり、ハルキの第2、第3世代子弟は、国家が正式に過ちを認め、彼らに機会の平等を法制保障するよう訴えた。
 

10月

5-6日:マルセイユ北地区の犯罪捜査班(BAC)に所属する警察官12名が、麻薬密売人を脅し麻薬及び金銭を横領した容疑で全国警察監査官室(IGPN)によって拘束された。 6日、ヴァルス内相はマルセイユ市のBACを解消した。また12日には同市を訪れ警察関係者を督励した。

6日:ストラスブール、サルセル(以上管外)及びカンヌでイスラム過激派と見られる12名が検挙され、内7人が予審対象となった。他にも1人が検挙時に警官隊に発砲し抵抗の末死亡した。

16日: アジャクシオ(コルス・デュ・スュード県)で弁護士アントワーヌ・ソラカロ(Antoine Sollacaro)が白昼暗殺された。 コルシカは人口に対する警察官数が全国平均に比べて高いが、犯罪率も群を抜いており、本年1月以降の殺人件数は既に15人に達している(2011年は22人)。 23日、政府は、コルシカで多発する殺人事件の大半が金銭に絡むことから、経済・金融犯罪取締り強化策10項目を発表した。エロー首相は、最大の被害者がコルシカ島民であることを認めながらも、犯罪に立ち向かう確固とした態度を求めた。(当館注:コルシカには一種の沈黙の掟があり、捜査当局への情報提供が行われにくい傾向があることから) 

16-26日:コルシカ沖で、英仏両国海軍による共同作戦「コルシカの獅子(Corsican lion)」が展開された(原子力空母シャルル・ドゴールを含む戦艦13隻、攻撃型原子力潜水艦1隻、航空機・ヘリ40機、車両450台、兵士600名が参加)。

20日:ニースで、ピエ・ノワール(アルジェリア動乱の際のアルジェリアからの引揚者)、ハルキ(右動乱の際に仏側について闘ったアラブ系補充兵)、旧軍人ら300人が、1962年3月19日をアルジェリア停戦日と定める法案に対し抗議デモを実施した(当館注:エヴィアン協定は締結日の翌日に効力を発揮すると定められたが、同日以降もアルジェリア解放戦線(FLN)によって幾千人もの市民・軍人が殺害されており、右日付は犠牲者を侮辱するものと言うのが抗議の理由)

 

11月

1日:オランド大統領とネタニヤフ首相(イスラエル)が、トゥールーズのユダヤ人学校(3月18日、学童ら3人がイスラム過激主義者に暗殺された現場)を訪れ哀悼の意を表した。

7日:モンペリエのハンドボール・クラブ(フランス・チャンピオン)が、レンヌのチームとの対戦時(2012年5月)、八百長試合をした廉で、複数の選手がクラブ解雇等の処分を受けた。警察の取り調べを受けた9選手の中には今夏のオリンピックに仏代表として参加した者もいた。

14日:アジャクシオでコルス・ド・スュード県商工会議所会頭のジャック・ナセール(Jacques Nacer)が銃撃を受け暗殺された。15日、ヴァルス内相とトゥビラ法相は島に急行し、真相の究明及び犯人の検挙に全力を注ぐ旨表明するとともに、島民に捜査協力を促した。 21日、バスチア南で建設業者が銃弾を浴びて暗殺され(今年18人目の犠牲者)、両大臣が再び訪問した。(25、26日)

19日:マルセイユに本部を置く世界水会議(CME)が総会を開き、ベネディト・ブラガ(Benedito Braga、ブラジル)を新代表に選出した(前任はロイク・フォション、フランス)。

19日:フランス政府はITERを基礎原子力施設(INB)として正式に承認した。核融合に関する施設としてINB相当の承認は世界で初めてとなる。

29日:マルセイユ大都市圏構想にブーシュ・デュ・ローヌ県の市長(総数119名中)92名が反対を唱えている。反対派は、マルセイユを支援することは原則として認めるが、個別部門毎の自治体の自発的な意思に基づく参加を主張し、上意下達式の法に基づく執行は承服しないとの姿勢を明らかにした。


12月

4日:中国系資本による仏国内の葡萄畑の買収が進む中、同種の動きは管内でもコート・デュ・ローヌやシャトーヌフ・デュ・パップに及んでいる。

6日:トゥーロンにポルトガルの私立医科大学が開学した。7,500-9,500ユーロの年間授業料で、同国の免許(歯科医、薬剤師、発音矯正士)が取得でき、その後は欧州枠での等価制度により仏での就業も可能になる仕組み。仏国家が設ける医師人数制限制を崩すことになるとして医大生組合などは反対。高等教育相は、許可なしに「大学」を名乗ることに訴訟を辞さぬ構え。

7-8日:コルシカの14自治体で26戸の別荘が爆破された(コッジア、コティ=キアヴァリ、サルテヌ(以上コルス・デュ・スュード県)、カルヴィ、オレッタ及びトミノ(以上オート・コルス県)等)。対象となったのは、全て非島民の所有する家屋で、大半が建築中のもの。19日、FLNCが犯行声明を出した。

13日:上院は、ブーシュ・デュ・ローヌ県の清掃事業をめぐる公契約での不正に関し、予審判事の要請を受けてゲリニ県議会議長に対する議員特権の留保を認めた(2度目)。

19日:OECDがマルセイユ市、大港湾事務局等の発注で実施したマルセイユ-フォス港調査報告が纏められた。右によれば、港の実績は、その目標に及ばず、地域の経済活性化の原動力にもなっていないとの評価。

19日:タクシー業者が全国主要都市で社会保障改正法案に抗議してストを実施した。マルセイユでは約1千台が市内の幹線道路を閉鎖し、交通に混乱を来たした。(従来、治療のための患者の移動に個人タクシーが利用され、医療保険により還付されてきた。法案では入札制度が導入され廉価な車両提供企業が顧客を奪いかねないことから業者の反発を招いたもの)

21日:世界に終焉が訪れ、ビュガラック村(オード県)のみが破局を免れるとの(古代マヤ文明の暦に基づく)予言は的中せず、各地から同地に集った人々は解散した。